LOGIN小鳥遊絃葉は、その夜まったく眠れなかった。
正確には、眠ったり起きたりを繰り返していた。 目を閉じる。 少しだけ意識が落ちる。 でもすぐに、頭の中で同じ言葉がまた点灯する。 大型企画、事前打ち合わせ。 天瀬アルト参加。 一部参加メンバーは接続確認あり。 ただそれだけの文面なのに、絃葉の心拍には十分すぎた。「……無理……」 深夜、自室のベッドの上で小さく呟く。 声に出したところで状況は何も変わらない。 でも、出さないと胸の中が落ち着かなかった。 天瀬アルト。 同じ箱の先輩。 AstraLinkの中でも、数字も人気も空気も、何もかも一段高い場所にいる人。 もちろん、表向きには何度か同じ会議に名前が並んだことはある。 全体連絡のボイスチャットで、一小鳥遊絃葉は、その夜まったく眠れなかった。 正確には、眠ったり起きたりを繰り返していた。 目を閉じる。 少しだけ意識が落ちる。 でもすぐに、頭の中で同じ言葉がまた点灯する。 大型企画、事前打ち合わせ。 天瀬アルト参加。 一部参加メンバーは接続確認あり。 ただそれだけの文面なのに、絃葉の心拍には十分すぎた。「……無理……」 深夜、自室のベッドの上で小さく呟く。 声に出したところで状況は何も変わらない。 でも、出さないと胸の中が落ち着かなかった。 天瀬アルト。 同じ箱の先輩。 AstraLinkの中でも、数字も人気も空気も、何もかも一段高い場所にいる人。 もちろん、表向きには何度か同じ会議に名前が並んだことはある。 全体連絡のボイスチャットで、一緒の部屋にいたことだってある。 でも、それは“同じ回線の向こうにいた”だけだ。 今回の大型企画は違う。 事前打ち合わせがある。 現場もある。 つまり、これまでよりずっと“近い距離”で同じ空気を吸う可能性がある。 しかも自分は新人だ。 まだ登録者二十万人。 事務所の期待に応えたい気持ちはある。 でも、それ以上に失敗したくない。 先輩の足を引っ張りたくない。 変な緊張の仕方をして、空気を壊したくない。 アルトの前で「うわ、本当にいる」みたいな反応をして、ただの痛い後輩にもなりたくない。 理想は、ちゃんとした後輩だ。 礼儀正しく、 でも固くなりすぎず、 必要な時に必要な返しができる、 そういう人。 だが現実の自分は、たぶんかなり固まる。「どうしよう&
柊坂真白は、配信業界のことをほとんど知らない。 もちろん、言葉としての「配信」くらいは知っている。 動画があって、 ライブがあって、 投げ銭とか登録者とか、そういうものがあるらしいという程度には。 でも、それ以上の細かい空気は分からない。 どの事務所がどうとか、 コラボ文化がどうとか、 大型企画がどのくらいの重さなのかとか、 そういう話になると、正直すばるの方が十倍は詳しい。 だから、久瀬湊人が「配信側の大型企画」と言った時も、真白の中でまず反応したのは内容ではなかった。 疲れ方だ。 家側の問題が近づいていた時の久瀬は、もっと張っていた。 静かで、 神経が尖っていて、 少しでも隙を作るとその場ごと冷えそうな、あの感じ。 でも今は違う。 今度の疲れ方は、もっと時間に追われる人のものだ。 予定表の隙間を探しているみたいな目。 体は学校にいるのに、頭のどこかでずっと別の時刻表が動いている感じ。 重さの種類が違う。 何をしているのかは知らない。 知らなくても、無理の質が違うことだけは見える。 「……面倒」 朝、制服のスカートを整えながら、真白は小さく呟いた。 外の顔が一つではない。 たぶん家側だけでもない。 そこまではもう察している。 でも察しているからといって、全部を聞きたいわけではない。 最近の真白は、そこが少し前の自分と変わったと自覚していた。 聞いてもたぶん全部は言えない。 言えない相手へ問いを重ねても、結局困るのはこっちも同じだ。 なら今必要なのは、正体を暴くことではなく、無理の限界を見逃さないことの方だった。 ◇ 教室へ入ると、窓際の空気は今日もいつものように見えた。 日野が「金曜前の木曜って一番中途半端」とわけ
鳴海すばるは、自分が器用なオタクではないと思っている。 推し事と現実をうまく分けるタイプではないし、 「これは推し」「これは学校の人」と綺麗に線を引いて生きられるほど整理整頓も上手くない。 好きなものは好きだし、 気になるものは気になるし、 引っかかることはずっと引っかかる。 そのせいで、最近の自分の頭の中は、かなりうるさかった。 天瀬アルトの大型リアル企画。 AstraLink全体がざわつくレベルの大きいやつ。 公式の先出し映像、参加メンバーの匂わせ、ファンコミュニティの考察、トレンド入り寸前の盛り上がり。 普通にオタクとして、かなり沸く。 なのに同時に、その話題が出るたびに、学校で隣の列にいる久瀬湊人の方まで気になってしまう。 配信側の話でこっちが盛り上がる。 すると、なぜか久瀬くんがちょっとだけ静かになる。 あるいは、いつもより一拍遅れる。 それをまた拾ってしまう。 最悪だと思う。 推し案件でテンションが上がってる時くらい、素直にそっちだけ見ていたい。 でも、最近の自分はそれができない。「……ほんと面倒」 朝、自室でスマホを見ながら、すばるは小さく呟いた。 AstraLinkの大型企画に関するファンコミュニティの投稿が、昨夜からかなり増えている。 参加メンバー予想、現地収録の形式、街頭ビジョン展開の規模、限定ボイスの有無。 オタクとしては楽しい。 かなり楽しい。 でも、その“楽しい”の奥で別の神経がずっと動いている。 久瀬くん、またしんどくなるんじゃないかな。 いや、なんでそこへ行くんだ自分。 しかも、そこまで思うってことは、やっぱり――。「……いや、まだだから」
小鳥遊絃葉は、緊張すると姿勢がよくなる。 これは本人にも自覚がある癖だった。 肩が上がるとか、 指先が落ち着かなくなるとか、 そういう分かりやすいタイプではない。 むしろ逆だ。 背筋がすっと伸びて、 返事が少しだけ丁寧になって、 笑うタイミングまで慎重になる。 だから初対面の人にはよく「落ち着いてるね」と言われる。 でも本当は全然落ち着いていない。 緊張して、失敗したくなくて、変なことを言わないようにしているだけだ。 そして今の絃葉は、ここ最近で一番、その“落ち着いてるふり”が必要な状態だった。 スマホの画面には、AstraLinkの大型リアル企画メンバー一覧が映っている。 何度見ても変わらない。 変わらないのに、何度でも見てしまう。 先輩ライバーたちの名前。 大手の中堅組。 人気の高いコラボ慣れした面々。 その中に、自分の名前もある。 小鳥遊絃葉 そして、その少し上に。 天瀬アルト「……本当に同じ現場なんだ」 小さく呟く。 何度目か分からない確認なのに、まだ実感が追いつかない。 天瀬アルト。 AstraLinkの中でも、特別に“空気が綺麗な人”だと絃葉は思っている。 もちろん数字がすごい。 登録者数二百万超え。 グッズも強い。 記念配信も安定して伸びる。 女性人気も高いし、男性ファンからも“安心して見られる王子枠”としてかなり支持されている。 でも絃葉が惹かれているのは、そこだけではない。 話し方。 間の取り方。 相手が話し
月曜の朝は、だいたいろくでもない。 久瀬湊人は、そういう偏見を持っている。 もちろん、理屈の上では曜日に罪はない。 月曜日そのものが悪意を持って何かを仕掛けてくるわけでもないし、日曜の夜にスマホへ届いた通知の内容が重いからといって、それを月曜日のせいにするのも筋違いだとは思う。 だが、それでも月曜の朝に限って、人生の厄介ごとは少しだけ輪郭をはっきりさせてくる気がする。 その日もそうだった。 久瀬湊人は、教室へ向かう前の階段の踊り場で一度だけスマホの画面を見て、小さく息を吐いた。 AstraLink運営からの連絡。 件名は、あまりにも業務的で、だからこそ嫌な予感しかしないものだった。 大型リアル連動企画・正式進行のお知らせ 昨夜のうちにざっと目は通していた。 だが、寝て起きても内容が軽くなるわけではなかった。 むしろ朝の頭で読み返したことで、余計に現実味が増している。「……ほんとにやるのか」 思わず小さく呟く。 大型リアル企画。 顔出し企画ではない。 そこは最低限守られている。 だが、それで安全とはとても言えなかった。 内容は、事務所合同の大型キャンペーンと連動した現地収録、街頭ビジョン展開、限定コラボ映像、音声素材の新規収録、現場コメント、リアル導線を使った宣伝施策の組み合わせ。 表向きには、あくまで「VTuberらしい形でリアルと接続する」ための企画だ。 だが、実務側の文章はもっと露骨だった。 平日夕方の事前収録あり。 休日の拘束時間長め。 参加メンバー間の簡易顔合わせあり。 現地入り時間は厳守。 交通導線は個別管理。 つまり
送信ボタンを押したあと、久瀬湊人はしばらくスマホの画面を伏せたまま動けなかった。 家側へ、あそこまで明確な言葉を送ったのは初めてだったからだ。 学校生活への干渉をこれ以上許容できない。 学校周辺での接触、観察、校内への直接接触を見直してほしい。 必要な連携は、自分個人への事前通知を前提にしてほしい。 文面にすれば簡潔だ。 だが、その中身は今までの自分の立ち位置を少しだけ変えるものだった。 これまでは、配慮を願う側だった。 事情を抱えたまま、できれば穏便に、できれば学校生活へ触れないようにと、曖昧な線で頼んでいた。 でも今回は違う。 学校生活を守るために、明確に条件を出した。 それはわがままではない。 けれど、少なくとも“ただ従うだけの側”ではなくなるということだ。「……やっとかもしれないな」 小さく独り言が落ちる。 遅かった。 たぶんかなり。 でも、今の自分にはこのタイミングでしかできなかったのだろうとも思う。 文化祭の頃の自分には、まだここまでの覚悟はなかった。 打ち上げに行けなかった夜の自分は、ただ残念がることしかできなかった。 教室へスーツの男が来た時は、ただ冷えるしかなかった。 でも今は違う。 守りたい場所が、かなり具体的になってしまった。 窓際の空気。 何もないふりで笑える昼休み。 駅までの道の、少しだけ静かな会話。 そういうものを、自分の外側の事情で壊したくない。 守ってもらってばかりでは、たぶんもう気持ちが悪かったのだ。 ◇ 翌朝、教室へ入った瞬間に、窓際の四人がほぼ同時にこちらを見た。 こういう時、もう驚かない自分がいる。 最近の自分たちは、朝一の顔色や空気の違いで、